かずさ音楽の森構想

”かずさ音楽の森構想”は1987年(社)かずさ青年会議所(当時(社)木更津青年会議所)が四市(木更津市、君津市、富津市、袖ケ浦市)行った「住民総合アンケート」を発端に、我々の住むかずさ地域に音楽の根を生やし、地域独特の文化色を出し豊かなまちを創っていこうとスタートした構想です。かずさアカデミア音楽コンクールはこの構想の元、1997年に始まり現在に至っております。

1987年  この年、(社)かずさ青年会議所(当時(社)木更津青年会議所) では、この地域で進行している巨大プロジェクト(東京湾アクアライン、かずさアカデミア構想)を踏まえ、新しいまちづくりが必要 だと分析し、過去2回実施し数々の成果を上げてきた「住民総合アンケート」を11年ぶりに行いました。 この地域の人々が自分たちの住むまちに、今どんなものを求めているかをリサーチすることが大切と考え、 四市市民(木更津市、君津市、富津市、袖ケ浦市)の有権者数の100分の1に当たる2170名を対象にを実施し、 その結果様々な問題、要望、意見等生の市民の声を聞くことが出来ました。
1988年  前年行った「住民総合アンケート」の結果を踏まえ、今後の運動目標の策定に取り組み、調査研究する中で地域の人々が芸術、文化レベルの向上、また施設の充実を強く望んでいることを知りました。その中で特に音楽分野に目を向け、音楽イベントの開催と、具体的なビジョンの確立に取り組みました。音楽イベントとしては”JーWALK””杏里””高中正義”氏らを迎えて、木更津市中の島公園において「中の島野外コンサート」をを開催し、5000人の来場者をお迎えしました。私たちの住む地域でもビッグアーチストを身近に見に行けるというインパクトは、大きなものでした。一方、長期的なビジョンとして、世界に誇れる音楽文化圏の創造を目指した「ミュージックワールド構想」を打ち出し理想像をまとめ上げました。
1989年  地域に根ざした市民文化を、発展させ、又、育てていかなければと考え、セミナーや炉辺会議を開き協議研究を重ねたました。ふるさとかずさの地に音楽を中心とした文化の森を築こうとこの年に「かずさ音楽の森構想」を生み出しました。そして、「かずさ音楽の森構想」の想いを「提言の夕べ」と銘打って、文化関係者、行政の方々に集まっていただき発表しました。さらにはタレントの山本コウタロー氏を招き、基調講演をで「音楽はソフトの開発が進む個人主義の時代にマッチしたコミュニケーション。かずさ地区は交通アクセスも良く、音楽の構想を通じて、このまち特有の文化が出現する計画を進めてほしい。」などと、この提言を支援していただきました。この提言は、地域に大きな反響を呼び、企業や市民からの問い合わせが多数あり、地域住民の関心の深さを改めて認識させられました。
1990年  前年の「提言の夕べ」をより推進して行くため、「夢がつくる森をつくる ミュージック&トークショー」と題したイベントを我々青年会議所の創立25周年記念事業の中で開催しました。当日ご来場した4市市民約1,000人の方々に対し、このイベントを通じて「かずさ音楽の森構想」をアピールしました。、またこの構想に関するアンケート調査を行いましたが、その結果市民とともに、音楽の溢れるふるさと創りのために運動の輪を広げ、長期的な視野に立った活動を継続的に行っていくことを再確認いたしました。更に、多くの市民向けに「かずさ音楽の森物語〜かずさきさたろう一家とともに〜」のパンフレットを作成し、構想のイメージを分かり易くアピールしました。
1991年  この年、政策系と推進系の運動を展開し、政策系においては、音楽の森構想を継続的運動にするためには、市民とともに運動することが不可欠と結論付け、8月この構想を市民参加型運動として実践していくために「かずさ音楽の森の会」を設立いたしました。また11月に第1回目のコンサートを開催し、市民団体としての会が動き出しました。推進系の運動としては、10月に第1回「かずさ音楽の森」エバーグリーンコンサートが袖ケ浦市の袖ケ浦公園特設会場において、市民オーケストラ・小学生オーケストラ、コーラス、「新東京フィルハーモニックオーケストラ」の野外コンサートを企画しましたが、当日雨天のため、後日木更津市民会館において同企画コンサートを実施いたしました。
1992年 前年企画したコンサートを、かずさ音楽の森構想推進のための継続的な事業として考え、第2回エバーグリーンコンサートを木更津市潮浜公園にて開催いたしました。コンサートの1部では千葉県知事、木更津市長が出演し、私達の構想に対しご支援を頂き、2部では自然と音の調和を奏でるオカリナ奏者の「宗次郎」によるコンサートが、夏の夜空の野外特設会場で3500名の来場者を酔わせました。また「音楽を通じて人と人が分かり合えるまちになってくれたら…」と語っていただき、お客様に私達の想いが伝わったのではないかと考えます。またこの年、当時のかずさアカデミアパーク推進室、木更津市企画部など行政の方達との意見交換等を行い、その中で県にアカデミア学術ホールを音楽ホールとしても使えるよう設計変更のお願いをし、更に木更津市には、隣接する敷地内の公園を「森のシンフォニー広場」(仮称)として計画いただけるようお願いし、両者ともご理解を得て現在に至ります。
1993年 この年も、推進運動を継続し第3回エバーグリーンコンサートを木更津市潮浜公園で会場に4000人のお客様をお迎えし開催しました。、オープニングとしては森の会推薦の北島千夏子さんのピアノソロ、ミニコンサートとして南房総にお住まいの尺八奏者ジョン.海山.ネプチューン氏と木更津市在住のピアノ奏者安積育代さんによるデュオ、そしてメインコンサートとして同じく南房総にお住まいの加藤登紀子氏のコンサートを行いました。また構想を提言したときからご理解を頂いている山本コウタロー氏をコーディネーターにお迎えし、会場の皆様に自然の素晴らしさと音楽の楽しさをお話ししていただきました。また、政策面では、この構想運動をより分かり易く広報活動が出来るように、かずさ音楽の森構想のイメージビデオを作成しました。一方かずさ音楽の森の会では、二年目を迎え、ミニコンサートやバロックコンサートを開催し、森の会としての活動がより形として現れてきました。
1994年 エバーグリーンコンサートも過去3年間行ってきた実績で、着実に知名度を持ったイベントに成りました。第4回エバーグリーンコンサートは更に多くの市民にこの構想の具体的なイメージを体感して頂き、楽しんで頂けるコンサートを目的とし、会場を富津市ふれあい公園内臨海野球場に移し開催いたしました。第一部はかずさ音楽の森の会が担当し地元小中学生の演奏会、また第二部では武田鉄也、堀内孝雄両氏のコンサートを行い、当日7000名のお客様が会場を埋め尽くし、夏の野外コンサートを楽しみました。また政策面においては、この運動を市民運動として広めていく上で、実際に音楽活動をしている方々にこの構想のご理解を頂く為、ミュージックフォーラムを開催し、また音楽団体同士のネットワークが必要と考え、この地域で活動している音楽団体サークルマップを発行しました。かずさ音楽の森の会の活動としては、ジャズ、尺八、フルート、古楽と様々なジャンルのミニコンサートを開催いたしました。
1995年 過去4回行ってきた構想推進のためのエバーグリーンコンサートは、市民の方々にすてきな音楽とのふれあいを体感していただきました。そしてこの年より、市民の皆様にこのイベントの企画から参加していただく中で音楽の輪を広げ、音楽に対する“おもい”を共有されることが、この地域の音楽文化の向上につながるものと考え、「第1回かずさ音楽祭」を企画いたしました。過去に例のない二日間を通しての音楽祭として、会場に君津市民文化ホールをお借りし、音楽祭を字の如く音楽のお祭りととらえ、会場全体を使い、フリーマーケットや大道芸人をよび趣向を凝らしました。一日目の1部では、様々なジャンルの四市市民音楽団体の発表会を一つのステージで行い、2部では地元高校生吹奏楽の演奏会と、遥々ドイツよりホームステイをしながら参加した学生と青年のオーケストラ「キュプス」の演奏会、その後国際交流の意味も持った地元高校生とキュプスの合同コンサートを行い、フィナーレでの高校生とキュプスの合同演奏と客席の皆さんとが一体になった「上を向いて歩こう」の大合唱は素晴らしく、それぞれ多くの皆様に感動していただきました。そして二日目には、加山雄三氏をお招きして、昼夜2回のコンサートを開催し、2400名のお客様に楽しんでいただきました。かずさ音楽の森の会の活動としては、ミニコンサートを開催しながら、私達の提言で現実になった、音楽ホールとしても使用可能になったかずさアカデミアホールのオープンのを目前に控え、全国レベルのピアノコンクール開催の企画に取り組みました。
1996年  昨年形を変えて開催した第1回かずさ音楽祭の成果を更に、市民参加、参画型として第2回かずさ音楽祭を企画いたしました。企画の段階から、市民音楽団体の方々に参加していただき、鑑賞する楽しみはもとより、多くの市民の皆様がステージ上に立ち音楽祭を創る喜びを体感していただきました。テーマを“響け!かずさのハーモーニー”としてコーラスに的を絞り、四市の14音楽団体と市原から1団体、そして昨年に引き続きドイツより、地元四市にホームステイをして参加していただいたミュンスター大学生オーケストラをお招きし、素晴らしいハーモニーとレベルの高いオーケストラの演奏を、ご来場いただいた皆様に楽しんでいただきました。また、かずさ音楽の森の会では1997年アカデミアパークオープンに合わせ、「かずさアカデミア音楽コンクール」と題したピアノコンクール開催に向けて実行委員会並びに運営委員会を発足し、実行委員長に千葉県知事、委員に四市市長を掲げ、運営委員会は森の会理事を中心に構成し企画検討を繰り返し、1997年6月の開催に向けて邁進しました。1987年の「住民総合アンケート」から始まったこの構想の成果の一つが、このコンクールを通して全国的なものへと羽ばたくものへとなりました。